建設の経緯は古川財閥の足尾銅山から出た鉱毒が渡良瀬川に流入し農漁民に被害をもたらす(足尾銅山鉱毒事件)。解決策として内務大臣で当時、古河鉱業顧問である原敬の助言により世間の目をかわすため、古川虎之助は帝国大学創設費として100万円を政府に寄付。そのうちの14万円が北海道大学の前身・東北帝国大学農家大学に分配され林学
教室(現在の古川記念講堂)が
新築される。
建築様式は
フランス・ルネッサンス風のマンサード屋根、両翼にはドーマ窓。仕切り窓には『林」をデザインした円形欄間。建物には鹿の模様がある。
昭和43年11月に保存建物、平成9年9月に登録文化財となる
